独り言

酒、サウナ、野球、麻雀が好きな異常男性の日記

20221217

今日は友人の命日でした。亡くなって6年。

共通の友人に故人を偲ぶ会に誘われていたのでさてどうしようかな、と思っていたら妻の義祖父が怪我をしたというので、妻を連れて義実家の徳島へお見舞いへ行くことに。

往復10時間の運転を日帰りで行う強行軍でしたが、やっと帰宅。今ようやく友人の命日に向き合う時間が取れた。


享年26歳だった友人の年齢なんてとうに追い越し、自分は31歳になり、結婚までした。彼にも結婚を祝って欲しかったな。俺も祝いたかったし。


あれからそこそこの月日が経った今でも「自分に出来ることがあったかもしれない」「メンタルが良くないことは知ってたのに、なぜ俺はもっと声を掛けなかったのか」と自責の念に駆られることがある。

それでも人間は薄情なもので、そういった事もすぐに忘れてまた新たな生活に戻っていく。
それがもちろん悪い事ではないけど、1年に1度くらい彼の事を思い出してバカ話で盛り上がる日があってもいいよな、って思う。

仲の良かった友人達は毎年故人を偲ぶ会を執り行ってくれたり、命日には彼の事を想起するようなことをSNSに投稿して、故人との付き合いがそこまで深くなかった人にも思い出させてくれてる。

6年やそこら、まだまだ彼の事を忘れることなんて出来ないけど、写真を見て顔は思い出せても、忘れていってしまうこともあるのかなと考える。

オタク話をすると、「それ!それなんだよなぁ!」って合いの手を入れてくれるしゃがれたような高い声や、ツッコミを入れた時に触れた天パでごわついた髪、レミドで肩を組んだときの線の細さ、対面打ちをした時のロマンスの角度、こういったしょうもない思い出も今では愛おしい。

これまた仲の良かった友人が葬式に参加した時に言っていたのだけれど、人の死には2回あって、それは「肉体的な喪失」と「皆に忘れ去られてしまう喪失」があるのだと。
彼の肉体は現世から消失してしまったけど、彼の事を思い出してバカ話をしてやる事はいくらでも出来る。いつまででも死なせてやるものかと。

俺があの世に行くときはしわくちゃになってるかもしれないけど、また俺をハンドルネームで呼んでくれるかい。俺の話聞いてくれよ。

駄文失礼。